インドにいたときは
「一刻も早くこの国を出たい」と思い
一時間過ぎればガッツポーズし、
数学が苦手な薔薇子でも頭をフル回転させ、
常に時間の計算に意識を集中させていた。
最終的には数学に長けてると言われるインド人よりも
時間の計算だけは早くなっていたに違いない。
薔薇子の旅行日程はインドからタイのバンコクに移り、
バンコクから日本へ帰るという予定だった。
インドが終われば、タイでマッサージと買い物三昧♪
という
「インドでの旅行」というよりは「修行のような日々」での
唯一の楽しみははかなく消え
インドから脱出するはずの日から5日経っても
薔薇子はまだインドにいたのだった。
インドで入院したのだ。
自慢じゃないが、薔薇子は産まれてこのかた、入院したことがない。
点滴をうったこともない。
しかしインドでの5日もの入院生活で
めでたく初めて記念を迎えたわけである。
今でこそ笑い話にできそうだが
インドでの入院生活は壮絶であった。
何度泣いたかわからない。
言葉が通じない、
たった一人孤独の身、
なんの病気だかよくわからない、
いつ日本に戻れるのかわからない、
もう日本に残している大切な人たちに会えないんではないかと思い
身体より精神がいかれそうで
何度も何度も発狂したようにわんわん泣いた。
離れたいと願えば願うほど、帰国日はどんどん伸びて行き
帰りの飛行機の航空会社まで
(本来私が使うはずの航空会社はデルタ航空というアメリカ系の会社だった。)
エアインディア
という、スッチーがサリーを着てるようなインド臭プンプンの航空会社になる始末。
成田に着く最後の最後まで
どこまででもインドは薔薇子にしつこくつきまとった。
入院中、体調がよくなってからは暇で暇で仕方なく
利き手も点滴でつながれていてなにもできなかったのだが
不幸中の幸い、
携帯の充電ができたので
もちろんインターネットはつながらなかったが
ひたすら左手で日記を書くことで時間を消費した。
入院中にリアルタイムで書いていたので、
時制がおかしな部分がたくさんあるが、そこはあしからず。
薔薇子は今回の旅行で
「インドなんて二度と行かない」
と心に誓った。
それだけじゃない。
一人旅なんて二度としないと誓ったのだ。
ピーターパンかインディー•ジョーンズか薔薇子か
ってぐらい冒険心の強かった薔薇子を
こんな考えにいたらしめたインド、
すごい功績だな!
(とか言いながら、その後も年4回ほど海外に出かけた薔薇子であった)
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