インドではリクシャーという乗り物がある。
浅草にある人力車と同じものである。
その人力車を自転車でひっぱって走っていくのをサイクルリクシャ
といい
漕ぎてをリクシャワーラー
と呼ぶ。
それに乗ったときの話である。
私がホテルに帰る道のり
疲れていたのでリクシャを使うことにした。
値段は交渉制なのだが
ホテルまでの道のりの相場(約2km)は
20ルピー(40円)
で
だいたいのリクシャワーラーは50ルピー(100円)
を要求してくる。
しかし微笑みかけてきた一人のおじいちゃんのリクシャワーラーに
「いくらですか?」
と聞くと
「20ルピー」
と他のリクシャワーラーに比べれば
はじめから低めの値段を言ってきたので
私は驚いて
「OK!」
と言いながら乗りこんだ。
すると私とおじいちゃんの交渉をどこからか見ていた何人かのおせっかいなインド人が
「お前、なんであんな安くいってしまったんだ!
外国人なんて少しふっかけてもいくらでも払うんだぜ!!」
みたいなことをおじいさんにギャーギャー言い出したのだ。
一人の中年男は
「いいか、絶対途中で、もっと取れ!いいな!!」
みたいなことをおじいさんに言い続けていた。
おじいさんは「わかった、わかった」
と言い、リクシャを漕ぎ出した。
ヒンディー語がわからなくてもだいたい雰囲気でわかるものである。
あのおせっかいじじいのアドバイスどおり
お金をあげてくるだろうな
と思ったら案の定、小雨が降ってきたときに
「あー、雨が降ってきたなぁ。こりゃ30ルピーだなぁ」
なんてこっちをちらっとみながら言ってきた。
正直、私はすごく疲れていて
はじめから多少ふっかけられても
値段交渉する労力も惜しかったので
10ルピー上がったところで
日本人の私にとってはたかだか20円アップ、
痛くもかゆくもないし
「オーケーオーケー」
と言い、またどかっと、席に座り直した。
多くの旅行者たちは、
この10ルピーを出すことをやたらしぶる。
土産屋でも5ルピー下げてくれなくて買うのをやめたりしている。
まぁ物価がほぼ10分の一とかそれ以下であるから
その国に合わせる彼らは正しいのかもしれない。
地球の歩き方にも、「日本人的な感覚ではなく、インドにきたからには
1ルピー=2円
ではなく
30円くらいの感覚を持ち、大事にしよう!」
なんて書いてあった。
10ルピーあげることに成功したおじいさんは、
よーし!
と勢いづいて走り出した。
とはいうものの遅かった。
おじいさんのリクシャは本当に遅かった。
どんどん他の車やらリクシャやらに抜かされていく。
なぜならおじいさんは片足が良くない様で、
もう片方の足でカバーしながら漕いでいたからだ。
私は
この人に頼んで良いものだったのだろうか
と思ったが
仕事がないよりある方が助かるはずなので
まぁいいや
と思い、任せていた。
しかし小雨だった雨は少しの間でどんどんひどくなり
スコールとなった。
バケツをひっくり返したような雨で
私の座っているところに小さい屋根があったが
残念なことに向かい風ということもあり、
全身びしょ濡れになった。
痛いくらいの雨で、リュックの中にも水が入り込んでいたので
私は小さな座席にうずくまり
リュックの中にあるデジカメとビデオカメラを守る事に全神経を集中させた。
一瞬で道は膝ぐらいまで水が溜まった。
いつもは車やらリクシャやら牛やらヤギやら犬やらでごった返している道には
おじいさんと私の乗っているリクシャ以外
なにもなくなった。
おじいさんと私だけが雨に打たれながら進んでいく。
みんな雨宿りしに行ったのだ。
道の横で雨宿りしているインド人は
おじいさんと私に
こんな雨の中よくまだ進み続けるよな!
みたいなヤジを飛ばしていた。
私はいつおじいさんが
雨宿りしよう
と言い始めるかな
と思い、「今日はもしかしたら帰れないかもしれない」と不安に駆られていた。
しかしおじいさんは視界も悪いなか
決して漕ぐのをやめなかった。
一回止まったので雨宿りをするのかと思いきや
私の座席の下から何かを取り出した。
それはゴミ袋にひもをつけたお手製だかなんだかの
お粗末なカッパで
おじいさんはそれを着てまた漕ぎ出した。
途中から水が溢れすぎておじいさんは自転車から降り、
川のようになっている水に足をつけてリクシャを引っ張りながら歩き出した。
彼はたった60円で、客を目的地まで連れていく
という仕事を忠実に行っていた。
すごく、すごく遅い私のリクシャだったが
絶対に止まらない私のリクシャだった。
おじいさんは私がとまっているホテルを知らなかったのでエリアを伝えた。
そのエリアにつくと、
「ついたが。」
と言ってきた。
インドの道はう○こだらけなので
水が溜まったう○こ水に絶対足をつけたくない。
申し訳ない気持ちがあったが、私は
ホテル、あとちょっとだからもうちょっと行って、もうちょっと!
とホテルの前まで、いくよう指示した。
するとおじいさんは頷き
またジャボジャボと歩いてリクシャを引っ張り始めた。
私はおじいさんに感謝してもしきれなかった。
おじいさんが私をホテルへ連れて行かなければ
この雨と洪水の中、連れていってくれる人はいなかったであろう。
ホテルまで帰れなかったかもしれない。
実際雨はその後もやまず、洪水となった道の水は次の日の朝になっても、ひいていなかった。
ひどい雨で帰れなかった旅行者もいたみたいだった。
リクシャワーラーという職業は
インドのカースト制度の中では下の下の仕事で
生まれて、働けるようになったら、
仕事を選ぶなんてことは、始めからないから
なんの疑問もなく、人々を自分が漕ぐ乗り物に乗せて運ぶ。
ただそれだけだけど
日本からやってきた、この小娘は
おじいさんの仕事に感謝した。
私の感謝は60円なんかじゃ、どうしても足りなかった。
小銭入れの中には、100ルピー(200円)入っていた。
日本人にとってはたった200円でも、
インドでは高いお金であり、
本来ならリクシャワーラーに渡す5倍のお金である。
本当はもっと渡したかった。
しかしまとまったお金はホテルの金庫にあり、小銭入れには100ルピーしか入っていなかったのだ。
私は100ルピーを渡すことに決めた。
きっと他の旅行者はそんなに払うなんて馬鹿だ
というだろう。
地球の歩き方の編集者にも怒られそうな値段だ。
しかし私にとっては
100ルピーでも足りなかった。
もっともっと払いたい。
そのくらいの価値があったのだ。
確かにその国に合わせた相場というものは存在するのかもしれない。
でもこのときばかりは私の価値観で決めたかった。
よく日本では、男女の交際における重要な条件として
価値観の一致
なんて言ったりするが
私はイマイチその価値観というものがあまりわからなかった。
価値観の違い
というのは
考え方の違い
のようなものだろうとぼんやり思っていた。
日本でお金を使うときには、必ず値札が貼ってあったり、
値段がある程度決まってしまっているので、
きっちりとその料金しか払わない。
しかしインドでは、ほとんどが交渉制であるので、
そのものに対する価値は自分で決める。
もちろん価値観は、お金の問題だけではないが
このとき、私は決まってしまったものや相場にとらわれない
自分の中の価値、というものを
すごく感じたのだ。
100ルピーを渡すと
おじいさんは驚き、
私に対して、何度も何度も手を合わせ、おじぎをしてきた。
泥だらけになったおじいさんの足をみながら、
100ルピーじゃ足りない感謝を私がお辞儀して、伝えたいのに
と思い、私も何度もお辞儀した。
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