二度の流産 メンタル面の変化

一度目と二度目の流産ではメンタルの状態が全く違いました。

一度目の流産はメンタルがボロボロでした。

二度目の流産はメンタルが安定しました。

一度目は繋留流産、二度目は化学流産だったので、もちろんその二つの違いもあるとは思います。

身体の状態が違ったということもあったと思います。

しかしなぜ二度目はメンタルが安定したのか、それについて話してみたいと思います。

まず一度目の私のメンタルの状態から話しましょう。

一度目の流産は、赤ちゃんの心拍が聞こえた後、9週目の検診で発覚しました。

実は、一度目の時「本当に生まれてくるのだろうか」という不安が妊娠が発覚した時から常にあり、心拍が聞こえた時は意外なほど悪い予感がありました。

しかし、流産という現実を突きつけられた時は、自分の不安を遥かに超えるほどの悲しい衝撃に打ちのめされました。

自分の感情を抑えることができなくなり、泣き騒いだし、旦那に激しく当たったりもしました。

かなり精神が不安定になりました。

そして流産後は、より強く子供を望むようになりました。

妊娠に対する執着は凄まじく

考えること全てが妊活に関するものとなり、ずーっと妊活情報をネットで見る毎日。

子宝で名高い寺や神社にお参りに行き、たくさんのジンクスも試しました。

産婦人科に通い始め、一通り不妊検査もし、夫にも検査を受けさせ、排卵検査薬を大量購入し、排卵日付近に夫に夫婦生活を強要する日々。

生理がくるたびに落ち込み、泣き出す。

もう妊娠することはできないんじゃないか。

子供を持つことができないんじゃないか。

そんなことばかり考えて不安と戦う日々でした。

一度目の妊娠は妊活を始めて一週期でさずかったのに、流産後は半年経っても妊娠せず、ますます焦っていました。

流産後は妊娠しやすいと聞いていたのに…前回はすぐ授かったのに…

そんなことばかり考えていた矢先に、流産から7ヶ月後、妊娠が発覚しました。

妊娠が発覚した日は、前の子の出産予定日でした。

この運命的な日が私を変に元気づけ、

これは運命に違いない

前の子が戻ってきたんだ

今回は絶対大丈夫

そんな思いを持ちました。

しかし前回の流産のトラウマもありますし、実は頭の隅には不安がありました。

でも出産予定日に発覚したという運命的なものを強力な盾として、その不安を打ち返そうとしていたのです。

「今回は絶対に大丈夫!」と自分に言い聞かせるように、何度も夫に言いました。

しかし妊娠が発覚して1週間で不安の波が押し寄せてきます。

茶色い織物が出て、産婦人科に行ったけれど胎嚢は見えず、「子宮外妊娠の可能性がある」と言われてしまったから。

もちろん5週前に産婦人科に行ったから早すぎるということもあるけれど、妊娠検査薬の反応の早さと、私の生理周期の早さから胎嚢は見えてくるはずだとなんとなくわかっていたからなのです。

産婦人科に行ってから私は不安で仕方がありませんでした。

「あと1週間経ったらまた来てください」と言われたけれど、

1週間を乗り越えられるだろうか。

1週間私はどれほどの不安を感じるだろう。

1週間を乗り越えても、安定期に入る12週までは不安との戦いの中生きていかなければならない。

12週超えても少しは不安が取り除かれるだろうが、それでも妊娠は危険が付き纏うから不安は抜けないだろう

そんなことを考えていると、妊娠というものが、喜ばしいものであるというよりは、もう本当に恐ろしいものに変わってしまったのです。

不安より怖いものはありません。

怖い

怖い

怖い

しかし産婦人科に行ってからわずか2時間もしないうちに私は流産します。

トイレに行って鮮血と血の塊が出た時の気持ちは、1回目の流産の衝撃的な悲しみとは全く異なるものでした。

「あ、流産した」

そう思ったと同時に私は少し安堵しました。

今までずっと執着していた妊娠がダメになったのに

不安が現実になったのに

私は鮮血を見て不安から解放されてしまったのです。

夫に「流産した」と告げました。

そうすると夫は私のもとへ来て私を抱きしめました。

その時初めて私は、自分がかわいそうなんだという事に気づき、少し泣いたのです。

でもそのあとは泣いてなんかいられませんでした。

次々と流れ出る血と衰弱していく身体に、「悲しみ」の感情が入る隙がなかったんです。

もうそれどころじゃなかった。

そして現在に至るまで、私は今回「悲しみ」というものをあまり感じずにいます。

今回は、心拍はおろか、胎嚢すら見えなかったから赤ちゃんの存在を感じられなかった

身体の不調に耐える方が大変だった

などの要因はもちろんあります。

しかし不思議なくらい「悲しみ」がなかったんです。

むしろ冷静になりました。

私がどれだけ妊活を頑張ったとしても、大丈夫な時は大丈夫だし、ダメな時はダメなんだ。ただそれだけなんだ。

その事に気付いてしまったんです。

特に妊活の時に藁にもすがる思いで試していた、スピリチュアルなものは特に自分の運命と関係がないんだということもわかってしまいました。

「赤ちゃんが戻ってきた」とかそういう考え方は、全部自分が勝手に考えた理由づけに過ぎないと。

そしてお参りも、子宝に恵まれるという待ち受けも、風水も、寺で引いたおみくじも(大吉で「待ち人は来る」という結果だった)、私の運命には何も関係ない。

はじめは、これらのことが今回の妊娠につながったんだと思っていましたが、結局ダメになるどころか、化学流産なのに私の体はボロボロになり入院までして今も完全に回復していないのです。

ボロボロになってから、自分の力ではどうしようもないから運命を受け入れていくしかないということをすごく冷静に思ってしまいました。

もちろん、妊活において、体に良いことをすることはとても大事だと思います。

でもそれ以外のことは、私がどんなに焦ったり躍起になったところで関係ないのです。

そんな冷静な考え方が、むしろ私を救ったことは皮肉なことでした。

今は、異常なまでに子供が欲しいと思うことがなくなりました。

子供は欲しいけれど、できたら良いな。

くらいの気持ちになりました。

できたらできたで嬉しいし、できなかったらできなかったで夫と二人で楽しく生きていこうと思うのです。

「次流産になったら」という不安も少しはありますが前よりはありません。

次流産になったら、それも受け入れて不育症の検査なりなんなり科学の力に頼るだけです。

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